「満洲国」文学研究会の設立の宣言



 「満洲国」の文化制度や文学作品の研究は、日本でもごく少数の研究者によって進められてきた。それらの研究は日本の近代植民史を総括する作業の一環として、「満洲国」を歴史的に結論づける意味あいが濃かった。そこには真摯な歴史意識に裏打ちされた研究が多いが、我々が目指すところはやや違う。

  我々の仕事は、「満洲国」自体を、近代日本の植民地という一言のもとに結論づけることではない。そのような意識からの文学作品へのアプローチは、作家たちのつむいだ言葉を、読む側が先取りした歴史評価を述べるための題材にしてしまう。安全な答えに保証された分析作業は、「満洲国」の作家の複雑な作品と言表行為にどこまで真に迫れるだろうか。これは研究の途上でややもするとそうなりがちな我々自身への自戒でもある。

 「満洲国」文学研究会として我々が求めるのは、あくまで、「満洲国」当時にあって作家たちがつむいだ言葉と作品、あるいは彼らが書く=生きる軌跡である。それを明らかにし、記録することである。この追究対象を近代植民地をめぐる歴史評価に結びつけるのは、我々の出発点にあっては目的とはならない。そこへ行くまでにしなければならないことが、我々には山ほどあるのだ。

  もはや「満洲国」崩壊から50年以上が経過しながら、関連研究の現状はどうか。一部の日本人作家については研究が行われているが、例えば中国人作家についていえば、どんな作家がいたのか、どんな中国語作品があるのか、という紹介作業さえいまだに確立していない。その文学テクストを一つの世界として論じる手法となると、ましてや示されていない。したがって、いまだ知られざる中国人作家の作品と生の軌跡はもとより、そもそもその存在を知られていない作家をまず発掘し、紹介していくことが我々の最初の作業となるはずだ。その上でテクストの内側に徹し、微視的に対象へと迫っていく。

  志を同じくする人々にひろく呼びかけ、ここに「満洲国」文学研究会をつくる。

  我々は「文学」というときの危険な陥穽には自覚的であるつもりだ。それが決して、同時代の社会、つまり今からするなら「歴史」的環境と無縁ではありえないことも知っている。逆に「文学」だけでは「満洲国」を総括できないことも知っている。言葉、作品、作家、さらには出版環境といった個別の要素によって構成された実体としての「文学」。そして、それらをつなぐ記号としての「文学」。その「文学」への冷めた眼と熱い眼とをもって、我々は「満洲国」の文学を見つめていく。



2001年4月10日 於東京
「満洲国」文学研究会発起人
橋本雄一 大久保明男

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