2001年


12月25日(第17回)
作品:李喬「協和魂」。東北のとある農村。氾濫した河の為に住民が危険にさらされている。治水工事を背景にそこに住む中国人と朝鮮人の人間関係、朝鮮人に対する中国人の意識が展開していく。最後は「民族協和」を宣伝する結末。
「中国」と「朝鮮」という「民族」軸、朝鮮人の話す中国語への細かい視点、話が中国人への教訓となっていることが興味深い。読書会ではじめて扱った演劇脚本であった。
本年最後の読書会には、日本人の「満洲」観光を調査している高媛さん(東京大学大学院博士課程在籍)と、明治学院大学の川俣先生にも来ていただき、活発な議論であった。新年もこうありたい。忘年会は、懐かしい面々がさらに加わって新宿「東順永」へ。白酒がうれしい。

12月10日(第16回)
作品:袁犀「鎮上的人們」。海辺の鉄道駅に勤務することになった「私」。その町は青島から来た「白系ロシア人」が通りを闊歩し、商店を構える。上司である駅長や、切符売り、街の名士たち(郵便局長、税務局長、漁業組合長…)の日常の生態が軽妙に展開する。
使われる言葉や人間の俗な表情に魅力あり。感想として、これを中篇できちんと描いたら面白いのに,という声あり。語彙の面白さ、袁犀の構成力、語り手のゼロ度など。
石田君が久しぶりに来てくれる。終わって,外に出ると寒風が身を切る。さっそく西口動く歩道の地下街に飛び込み、寄せ鍋をつつく。来年三月刊行の論集に向けて原稿執筆を誓い合う。

11月19日(第15回)
作品:但テイ(=女+弟)「伝屍病患者」。辺境の赤十字病院に、収容されている結核患者たち。その一人である「私」と新来の青年患者、範(北平大学地学科で学ぶ)との接触。誤植が多く、構成上も拙さが否めない。しかし、結核が人間の体を蝕んでいく微細な描写は特徴的だ。古丁「新生」とはまた違った生と死の表現。
次回とりあげる作家、袁犀についても話す。植民地と植民地+後とを結ぶような作家像のあり方。

10月29日(第14回)
作品:疑遅「山丁花」。「東山」の木材伐採労働者たちは、何かとピンはねされる給料など、苦しい環境で働いている。東北方言が多用され、これが面白い。隔離されて何ヶ月も山の木を相手に働く描写は、ふと中上健次の作品描写を思い出す。当時梁山丁が「郷土文学」として評価した小説。彼と古丁との論争を含めて、次次回、もう少し話し合うことに。
帰路、地下鉄に乗り疲れ、新橋の地下酒場でひとやすみ。

10月15日(第13回)
作品:田兵「同車者」。夏休みを挿んで7月30日の回の続き。東北「鶴岡」付近の金採掘現場でのある日の出来事。同じ車に乗った日本兵、中国人警備兵、そして、採掘した金を隠し持っていないかの検閲を受ける中国人。この社会の複雑な縮図なのか。日本人が登場する小説として珍しいだけでなく、日本人がおかしな中国語を使う場面など、描写が興味深い。
会のあと、「西安餃子館」で定例会の反省や近況報告など。

9月10日
この日は読書会活動よりも、15日の定例会に向けた準備について相談する集まりとなる(18時〜)。会場確認、司会進行・内容・時間配分について話す。めずらしくアルカホールなし。これも記念すべき、緊張すべき第1回定例会効果?

8月いっぱい
読書会としては夏休みとす。
ただし、大久保と橋本で8月8日から8月13日まで、瀋陽にて関連資料の収集を敢行した。あれほど楽しみにしてた白酒(パイチウ)はなし。その代りビールばかり飲んで冷えたお腹が大変なことに…

7月30日(第12回)
作品:田兵「同車者」。前回作品とは「鉱山」つながり。日本人について、珍しくきわどい描写が見うけられる。「協和語」?の面白さ。次回、議論を深めることに。
本日は、研究会の資料集めのために、夏休みに大久保と橋本が計画している東北旅行の打ち合わせを行う。9月定例会についても話し合う。
嗚呼われら。東北、心のたび。

7月16日(第11回)
作品:小松「鑛山旅舘」。「大東亜戦争」中の「満洲国」産業界が「勤労増産」キャンペーンをはる中、作家である「私」が鉱山を視察し、そこでのエピソードを語る。一回の読書会で扱うにはちょうどよい長さの小説であった。
中国語テクストに混在する日本語あるいは日本の風物(それの中国語訳)。「協和語」が醸すユーモア(語り手のねらい?)。そのほか、戦争下の作家のあり方の一側面を、別資料からも知る。「満洲国」の文学作品あるいは作家のスタンスの幅広さ=難しさ、を思う。
その後、新宿東口アサヒ・ビアホールへ。冷えし麦酒こそいのちの水なりき!

7月2日(第10回)
作品:爵青「夜」。金音「牧場」とは「アヘン」つながりで題材に。語り手「私」の特異な幼時体験を濃密に描く文体。
語り手による回想と爵青の経歴のクロス部分、爵青の文壇登場と古丁のそれとの時間差、爵青の文体から「満洲国」中国人作家の文体まで、中国語テクストにおける日本語の介入、など話題は尽きず。大久保による橋本訳の問題指摘もありがたかった。
当日は再び、石田卓生君の参加も見、それぞれが研究視点を披露。
その後、新宿東口「周之家」でかつ飲みかつ語る。9月の定例研究会、成功させようぜ!!

6月18日(第9回)
作品:金音「牧場」。「満洲国」内のとある女子高等学校で教師を務める「私」と一人の女生徒とのふれあいを描く。
あまり知られていない「満洲国」下の一般中国人の生活を記録し表現しえていること。金音小説のその貴重さと、文体と構成にみえる面白さとを確認。
文学上の技術の云々よりも、当時この小説が刊行され、現在でも手にとって読めるというその作品存在の重さについて、大久保と橋本のあいだで合意。
こういう小さなしかし堅実な作品を、われわれ中国文学研究者は掘り起こしていかねばならない。

6月4日(第8回)
作品:爵青「想着別人的籠城記」。古丁「新生」の関連資料として参照。そのあと次の作品、金音「牧場」へ移る。
参加者:強力な新メンバー、石田卓生さん(愛知大学大学院博士課程在籍)と、南誠さん(早稲田大学大学院修士課程在籍)に加わっていただく。これまでに増して有意義な読書会であった。若い力で関連研究を盛り上げていきましょう! 特に石田さん、遠路はるばる有難うございました。

5月21日古丁「新生」(第7回)をやっと読み終える。大久保よ、長かったね。
4月30日古丁「新生」第6回読書会(於東京都立短期大学、立川)
4月16日:実に9ヶ月ぶりに古丁「新生」読書会(第5回)を再開。以降、立ち上げたばかりの「満洲国」文学研究会の読書会として位置付ける。東京都立大学大学院博士課程在籍の神谷まり子さん、同修士課程在籍の榎本雄二くんにも参加してもらう。 inserted by FC2 system