2002年


12月16日(第33回):
 作品:王則「列女伝」田瑯「江辺的少女」
 「列女伝」:封建的読書人家庭の箱入り娘として育った大玲子は性に目覚め、使用人のニ禿子を意識している。しかし両親はそんな妙齢の娘に気付かず、親戚他人の結婚の世話に忙しい。近隣のおじさんが持ち込んだ大玲子の縁談は迷信深い父に断られ。彼女は旧社会・家庭の足かせに縛られて病に伏す・・・
 ☆「婦道」(孝・貞節など)を説く漢の『列女伝』などの古典書をちりばめつつ、ひとりの健全な女性がそれに絡めとられる悲劇を描く。「節烈婦女」「風水」といった旧来の価値観を逆説的に批判する作者の目は、「満洲国」新学制以降の「良妻賢母」育成型女子教育にも向けられているか? 作者、王則は1945年、「満洲国」首都警察に殺害される
 田瑯「江辺的少女」夏の松花江は水かさを増し伐採された木材を流してくる。それを拾って生活する一組の兄妹がいた。船頭と木材の奪い合いで、過って河に流されてしまった少年。「私」が翌日も行ってみると、その妹は川面に自分の裸身を移し、いつまでも兄を呼び戻そうとしている・・・
 ☆興安嶺と松花江とが結びついた「辺境」に生きる庶民生活像。死のイメージに絡みつく、抒情と官能の入り混じった身体描写が清冽。同時期の同じ作者による短編「集金人的除夕」も参照。植民地にあって、理念的な階級で切り分けることの出来ない中国人庶民のあたたかさを描く。
 ☆この日は忘年会も兼ねる。冬の中国東北へ資料探索に赴き、帰ってきたばかりの若者とじっくり話す。冬の長春を思い出しつつ、ショウコウ酒を傾けあった。

11月25日
 本日は読書会自体は次回にまわし、会としての中国人作家作品リスト作成作業の分担を、再度確認。自分が解説する作家と文芸雑誌をあらためてチェックすることで、忙しさにかまけていた気持ちを引き締めなおす。読書会の今後の題材もこれに即して選んでいくことに。
 埋もれた作家・作品を世に向って叫びたい。そんなはやる気持ちを抑えて、地道な作業が要求される。

11月11日(第32回)
作品:石軍「牽牛花」。前回の続き。
 赤痢に見舞われた村の農民のセリフ:「金持ちだけが死を怖れるんです。私たちのように明日の衣食にも困っているような貧乏人が、なんで死(=赤痢)を怖れましょう。どうせ死ぬのなら早いほうがいい」。ここに見えるような思想と、掲載誌『文選』のカラーとの符合性を話し合う。
 ほかに石軍による他の「辺境もの」を紹介。それらでは、末端の悪人(作中では中国人が多い。「満洲国」の小役人、小地主のこと)も、自分の生活難から止むに止まれず行動しかつ自分の罪を認めている。彼らの複雑さを描くことで、安易な対立の図式(富⇔貧、植民権力(の協力者)⇔被支配者)にはまらない現実が、ここに記録されているのだ。それを「辺境」においてこそ描き得た作家の、遠近法の謎を、これからも追っていきたい。
 ※インド史をめぐる「サバルタン研究」の課題を、R・グハは以下のように述べている:「地域・地方の土着エリートというカテゴリーに属する人々は多様であり、各地域の経済的・社会的発展の状況の違いを反映して地域ごとにそれぞれ異なる人々だった。(中略)こうした人々が理念的な階級から逸脱したとして、それはどのように特殊な性格のものであり、どの程度の逸脱だったのか。これらを(中略)見極め、歴史的に位置づけること」。(『サバルタンの歴史』、R・グハ他著、竹中千春訳、岩波1998)

10月21日(第31回)
作品:石軍「牽牛花」
作家が「満洲国」役人として放浪したさいに、書かれた「辺境もの」に属する作品。元小学校教師の徐は、辺境の町にやってくる。県庁につとめる友人に職を世話してもらうが、北京大学で教育学を専攻し、人間の理想を捨て切れない徐は、友人や職場の堕落ぶり、県役人の腐敗ぶりに違和感を生ずるようになる。
松花江沿いの村に発生した赤痢や貧困に苦しむ農民、辺境の町に住む人間のスキャンダルなど、多様な人間が陸続と登場する。
本日は「満映」の甘粕正彦をテーマとする早稲田大の青年も交えて、談話。夕刻、東北留学から帰ったばかりの京都大の友人も加わって、読書会としては久しぶりの飲みへ。父となった者、なお放浪する者・・・それぞれに熱燗の季節がやって来た。

9月30日(第30回)
作品:田瑯「黄昏」
「匪賊」と通じているという冤罪で捕えられた夫の帰宅を、待ちわびている林嫂。夫を解放してもらうために、警察の手先である馬五に体を許してしまう。実はその馬五こそ夫の罪をでっち上げ密告した張本人だった。馬五は前々から美しい林嫂を狙っていたのだ。
馬五が「外国語を何種もあやつる」といった設定は、植民地権力の言語(日本語)に通じる媒介者を予想させる。そうなると、馬五によって心身ともに踏みにじられる林嫂の姿も、単なる性的犠牲者を超えて、意味化されているように思える。
この日はほかに9月14日におこなった第三回定例研究会の反省会も兼ねる。

8月5日(第29回)
作品:趙鮮文「看墳人」
東北のとある農村。趙家の墓守として30歳の時から二十七年のあいだ雇われてきた楊八。村の家々が収穫した今年の穀物は卸値が非常に低くなり、どの家も生計が立たなくなる。趙家もついに墓地を売るはめに。行き場を失って立ち尽す楊八・・・。
「民国××年」などの言葉から、「満洲事変」直前と直後をつなぐと思われる場面描写が展開。作家自身が1920年代から瀋陽の『盛京時報』上で活躍しており、興味深い人だ。
ほかに、この夏の東北資料収集行の話も。

7月22日(第28回)
作品:小松「(衣+者chu3)魁、陳遠和小珍珠」
「満洲国」の新聞を扱う下請け印刷工場で働く壮年(?)のchu3魁と若者、陳遠。町なかで男たちを魅了する魔性(?)の女、小珍珠と陳遠の仲を、chu3魁は取りもってやる。chu3魁は二人の関係がどこまで進んだかを知りたくて、ある夜、同棲する二人の巣を探りにいく。だが暗闇のなかで彼の身に信じられない災難がっ!!(ガチンコ風)
どこから来てこの都市で何をしているのか、すべて謎に包まれた美女、小珍珠。その形象を軸に、滑稽味をにじませる小話(こばなし)。
植字工たちが活版作業のために読み上げるニュース(「大東亜戦争」におけるその日の日本の戦果)と、彼らの猥雑な日常会話とのポリフォニーが面白い。時局と中国庶民の好対照をうまく表現している。

7月8日(第27回)
作品:爵青「芸人楊崑」
「満洲国」前の長春で浮浪少年のグループにいた「私」とリーダーの楊崑。「満洲国」成立後はそれぞれ作家とサーカス芸人として生きている。物語をつむぐ人、爵青の構成力と言語力が炸裂し、「満洲国」という空間に生まれた名編の一つである。
「満洲事変」「日本軍」「日華両国」という同時代のキーワードをちりばめてリアルな空間を設定し(当時このような設定は珍しい)、そこから二人のもはや取り返せない友情をしみじみと刻んでいく。旅芸人の楊崑が北京・上海・浙江など中国各地を周ることで、「満洲国」を頻繁に出入りするような地政学も興味深い。
爵青の個人主義的筆法を批判する王秋蛍の評文(1939年ごろ)を参照。しかし、この作品には社会空間への眼が備わっているじゃないか。それは鋭くしかも懐かしいような眼だ。これからも言語テクストと「社会」の関係を、「暴露真実」だけでない切口で柔軟に考えていきたい。社会へのいろんな関わり方がある。「満洲国」の中国人作家は何を書いても、自分の様式で同時代の社会と必ず関わっている。

6月24日(第26回)
作品:古丁「竹林」
魏の「竹林の七賢」故事を題材にした短編。ほぼ忠実に故事をなぞっていく。
本日は報告者として石田君が登板してくれ、テクストの各逸話が「晋書」ケイ康伝や「世説新語」「蒙求」といった古典を元としていることを指摘。
物語る作法は魯迅「故事新編」(単行本としては1936年刊)を真似ているようで、また故事への関心も魯迅「魏晋の空気と文と薬および酒の関係」に沿っているようだ。だが七賢のエピソードを性急に羅列しただけにも見え、作品の充実度としてはやや残念。ただ、その淡白すぎる作法にこそ古丁の何らかの意図があるのかもしれないが。
本作への視点としては、お上に立てついて悲劇をたどるケイ康と、ノラリクラリかわす阮籍という好対照の二人をもって、「満洲国」下に生きる知識人が意識されているのかどうか。史実に材を採る作品のあり方(以前の李季瘋作品も)についても話す。 石田君の新幹線発車まで、水道橋でビール。9月の定例会のことも話題に。

6月10日(第25回)
作品:田兵「荒」。前回の続き。
作品のストーリーを詳細に追う。中国古来の保甲制が「満洲国」にあったらしい。
『満洲国現勢1937年度版』では、「1936年度保甲指導県」がすべて黒龍江(アムール河)沿いの国境村になっている。作中の「太平鎮」などを地図で確認しつつ、作品の持つ「時局」性をすこし知る。題材を求めて「満洲国」を放浪(派遣された移動も含めて)する作家、田兵。
神保町「白十字」にて。長時間居れて、かつ居心地のよい場所(暑すぎず、空調が効きすぎず)ってのはなかなか難しい。人間は贅沢だ。ゆえにこの日、われわれも約束の地を求めて放浪す。参加者ももっと増やしたいが。

5月27日(第24回)
作品:田兵「荒」
匪賊襲撃にそなえて、太平鎮の農民たちは役所の命で防塁を築いたり、戦闘に邪魔な自分たちの家屋を取り壊したりする労働にかりだされる(建設工作班)。その中で貧困と病にあえぐ一家が悲惨な末路をたどる。
中国人農民と日本人権力者という図式のあいだに噛んでくる者たち。すなわち日本人役人の命令を農民に翻訳する李翻訳官や、労働の意味を説いてまわる蕭甲長ら。彼らの複雑な立場も描き込まれている。次回も続けて討論することに。
この日、大久保と企画しているプロジェクトの方向がまた一つ具体化した。この目標を胸に着実に進んでいきたい。神保町で飲む久しぶりのビールが冷たく、うまい。

5月13日(第23回)
作品:也麗「三人」
かつて小学校の教師だったが今は放浪の身である「私」は、たどりついた辺境の街で、ひとりの娼婦が語る身の上話を聞くことに。父母の不仲や、母からの虐待といった悲惨な話に耳を傾けていくうちに判ったのは、彼女は何とかつての自分の教え子だった!
語り手の性欲とそれに反抗する彼の「人性」を通して、「満洲国」下の人間の再出発が語られていく。
僕は今、大連出身の作家たちに注目している。石軍(1912―50)の「無住地帯」は最高だ。描写の筆力はさながら顕微鏡のように極細に発揮される。五四新文化運動とのつながりを思う。

4月30日(第22回)
作品:姜霊非「二人行」
虚無的かつ刹那的な結婚観のもとに「奉天」で女性と同棲を続ける友人。彼を訪ねる「私」は、連れ立ってバスで映画館や飲み屋、ダンスホールをそぞろ歩く。
飲み屋の場面で、中国人労働者と共に登場する日本人の中国語が滑稽かつ卑猥。一貫した物語としては、ひ弱な点もあるが、巷の大衆スポットに炸裂する「満洲国」特有の空気をうまく記録している。
水道橋の日中友好会館を訪ね、読書会は駅裏の「台北」にて「辺喝辺談」。討議はのちメイルでやり取りすることにし、榎本君も加わってショウコウ酒の宴に突入。

4月15日(第21回)
作品:石軍「混血児」。前回の続き。
「満洲国」における中国人とロシア人の関係とは。ロシア人と対比させる形で「中国」の優秀さを主張する語り手。このような対比を日本人相手におこなうことは、当時難しかっただろう。
ほかに、石軍という多作な作家についても話す。ロシアと日本という帝国によって造られた大連の空気に育まれた作風がそこに? 今後も追いかけたい作家だ。

4月1日(第20回)
作品:石軍「混血児」。1943年ごろ、松花江沿いの辺境に官吏として赴任した語り手が、白系ロシア人と中国人との間に生まれた子供たちと交流するさまを描く。
革命軍に追われて極東へやってきた白系ロシア人の母親は、子供を何人も抱えて世をたくましく渡っていく。彼女のロシア人観(怠け者)・中国人観(誠実)と、それを聞いた主人公(中国人)の手放しの喜びようが奇っ怪。そんなベタな民族観って…! 次回も続けて話し合うことに。
3月16日の第二回定例会の反省会をビールを飲みつつ。研究会の新しい一年の活動についてプランを建てる。オレたちの道を見失わないよう、重新開始パ!

3月5日
読書会の集まりではないが、研究会のご案内をするため、蕭紅研究者の平石淑子先生を大正大学にお尋ねする。
蕭紅は1934年に「満洲国」を去ったが、1936年から1937年にかけて東京に滞在し、その間「満洲国」下の新聞に爵青といった作家らと共に連載が為されている。そういった繋がりも興味深い。
外語大跡地近くにサヴァイヴァルしていた中華料理屋「金華」で大久保と軽くビール。都電の音を聴きつつ。

3月4日(第19回)
作品:李季瘋「在牧場上」。漢武帝の世、使者として匈奴に赴き逆に囚われて、バイカル湖のほとりで放牧に従事させられる蘇武が主人公。史記にある実話に托して何かを言わんとするテクスト。
匈奴に囚われつつも漢への忠誠を貫こうとする蘇武と、その民族的「正義」を巧みにかき乱す異民族のトリックスター、シェリト。この二人の掛け合いが面白い。「満洲国」にあって物言おうとする中国人作家の問題作品と、認識す。
ほか、自民族の著名な史実を題材に庶民(?)に訴えかけようとする手法について、「満洲国」における他の中国語作品をも例に話す。

作品:梅娘「僑民」。戦時中の大阪から神戸に向う阪急電車の混んだ車内。「満洲国」から来たらしき「私」が朝鮮人夫婦とふれあう25分間を巧みに描く。語り手の女性の、行き場のない鬱屈した感情が魅力的。
当時の「日本人」による「朝鮮人」への眼。「中国人」らしき「私」が思いめぐらす、「朝鮮人」男女との共通点と亀裂(異郷の地=帝国日本、職業、民族、性差)などが問題に。ほかに、新中国になってからの作家による書き換えテクストも参照。
「僑民」とは誰なのか?

休んでいた二つの作品の討論をこの日、一挙に。梅娘のほうは、16日定例会の予習としても。
読書会のあと、定例会の懇親会会場を下見のため、高層ビル群を徘徊。53階の高級料亭の夜景はよけれども、男だけで来るものでもなしとして、ふもとの呑み屋に「降参」。熱燗。

2月7日
大久保一世一代の晴れ舞台に向けての準備(彦殿、恭喜!恭喜!!)や橋本の体調などの関係で、集まるのはここまで延びてしまった。
この日は、早稲田大学の岸陽子先生をお訪ねし、女性作家、梅娘についてお話をうかがう。梅娘は「満洲国」や占領下の北京で創作活動した作家。その間に日本に留学するなどしている。
そのあと喫茶店に入り、3月16日の定例研究会の打ち合わせ。必ず成功させようぜ!!
風邪のせいか、最近は旨いアルコールを摂取してない。仰ぎても掴みても知らず真昼月(くま)
この日予定の作品:李季瘋「在牧場上」は、ネットにての討論とす。

1月7日(第18回)
作品:呉瑛「淆街」。12歳の男の子を中心に、子供同士の関係(リーダーや子分)や大人のエゲツナサを描く。子供の目線に寄り添う語りが珍しい。
「満洲国」という舞台空間や「民族」といった社会様式を表現する言葉はなく、一つの家庭・一つの胡同・そこに暮らす人々の噂、で構成される日常感覚にこだわっている。このようなある意味で「せまく」ある意味で「普遍的な」作品は、今後どうアプローチされるべきだろう。
新年最初の読書会のあとは、子供をめぐる哲学について話し、各人、肝に命じる。西口の食堂。

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