第1回定例研究会報告
第1回定例研究会は2001年9月15日(祝日)に、無事終了しました。ご多忙のなかご出席下さった方々に、感謝いたします。改めてスタートラインに立った思いです。(橋本雄一、大久保明男、石田卓生)
当日のタイムテーブル
会場:明治学院大学白金キャンパス
11時開会
- 「満洲国」文学研究会としての挨拶
- 出席者自己紹介
- 基調報告
- 「満洲国」の中国語文学、これまでの日本側研究情況・・・岡田英樹(立命館大学)
- 「満洲国」の中国語文学、これまでの中国側研究情況・・・橋本雄一(千葉大学)
- 研究のこれからの課題と本研究会の成立・・・・・・・・ 大久保明男(東京都立短期大学)
12時30分 昼 食
13時30分から
- 個人研究発表
- 「満洲国」の文学空間―中国語読者の状況を中心に―・・・・・・・・・大久保明男
- 「植民地」的なものの表象はどのように可能か―爵青の小説から―・・・橋本雄一
- 古丁「原野」テクストにおける言語分析の試み・・・・・ 石田卓生(愛知大学大学院)
- 現代作家遅子建と「満洲国」・・・・・・・・・・・・・ 川俣優(明治学院大学)
- 提案
会員制を取ることとする。諸連絡の経費として年会費1000円を集めさせていただくことになる。当日は、2001年度分として参加者全員の方がご出資下さった。ありがとうございました。
各発表内容の要約と参加者のコメント
基調報告
- 「満洲国」の中国語文学の日本側研究状況・・・岡田英樹(おかだ・ひでき 立命館大学教授)
プロジェクト・研究雑誌・資料復刻・最近の動向と分けて90年代の研究状況をまとめた。端緒についたばかりの研究のこれからも展望し、中国人の視点を持つわれわれ中国文学研究者が、逆に日本人作家とその作品をどう見るのか、の必要性も訴えた。なおこの報告は、文化探究誌『朱夏』第16号(2001年11月刊行予定、せらび書房)に詳細が掲載される。
- 「満洲国」の中国語文学の中国側研究状況・・・橋本雄一(はしもと・ゆういち 千葉大学講師)
80年代から90年代の研究状況をおもな刊行物に即して紹介した。地方機関による着手から中央論壇による注視へ(研究の担い手)、地方文学から中国文学史へ(研究対象の枠組)、二項対立的評価から多様な存在の確認へ(研究対象への接し方)といった変化を指摘。なおこの報告は大久保と共同で、やはり『朱夏』第16号に詳細を掲載する。
- 研究のこれからの課題と本研究会の成立・・・大久保明男(おおくぼ・あきお 東京都立短期大学講師)
これまで日本側研究と中国側研究には対象と迫り方に限界があり、研究の核心にふれる交流は少なかった。政治的裁断が研究を狭隘にしてきた、という二点を指摘。日中の研究交流と新しい研究視点を今後の課題とした。
個人研究発表
- 「満洲国」の文学空間―中国語読者の状況を中心に―・・・大久保明男
これまで中心であった作家論や作品論ではなく、読者と出版という視点から「満洲国」のリアルな文化空間を提示する可能性を示した。
(参加者からのコメント)
1)ひとくちに中国語雑誌というが、「明明」など刊行の後ろ盾(出版の権力者)は日本人であった雑誌も多い。(それが植民地の恐さで、ほとんどの雑誌がそのような仕組みであった)そのような雑誌の性格も考えてみる必要があるのでは?
2)雑誌の発行部数は、容易に調べられるはず。雑誌の附録や建国大学紀要の附録などをもとに。「満洲国」は統計のスペシャリストであった面が強いので、その方面に関する資料は多いはず。ただ、そのような資料のなかの数字や雑誌の項目(権力筋に都合の悪い雑誌名は削られている可能性)をどこまで信じるかという植民地の問題もある。
3)「文学の読者」と言うが、その「文学」というものの範囲をどこからまでどこまでに考えるのか。それによって「読者」の数・質・層も変わってくるのでは?
- 「植民地」的なものの表象はどのように可能か―爵青の小説から―・・・橋本雄一
当時の社会状況(作家、歴史背景なども含めて)からのフィードバックではなく、小説というものが持つ構造から見られる「植民地」像の立ち現れ方を問題とした。
(参加者からのコメント)
1)「作者を除外した観点から小説内部を見ることで…」と言うが、そのような意識自体が実は「作者」をすでに前提としているのではないか?
2)「植民地に生まれた文学を"植民地"ぬきに"文学"として評価できないか」という意識は最初からの問題意識であることはよく分る。しかし、それを確かに検証するためには、「満洲国」文学ばかり、あるいは爵青ばかり見ていてもダメで、同年代のほかの地域の(淪陥区)の作家も読んで考えるべき。
3)爵青の文学教養の広さ(ドストエフスキーやジイドやポーなど)は日本語翻訳で接したものなのか?それは当時先に受容した日本の青年たちの受容の仕方と比較してみるとどうなのか?
- 古丁「原野」テクストにおける言語分析の試み・・・石田卓生(いしだ・たくお 静岡大学非常勤講師)
作品内の語彙を日本語と中国語の両面から精査した。「満洲国」の文学作品を、意識的な方法論の対象とした。
(参加者からのコメント)
1) コンピューターを使った興味深い分析方法ではあるが、もっと中国語のなかの日本語の介入に労力を傾けて欲しい。それが植民地「満洲国」の解明にもつながるはず。
2)「協和語」という言葉は当時あったものなのか?
3)「原野」テクスト内の語彙だが、語りの地の文と会話部分とは分けて分析する必要があるのでは? 会話部分に使う語彙には、当然、その会話を発する人物に沿った言葉が選ばれているはず。そうなるとそこには作家に染み付いた言語特性というよりも、文学構成上の作為が出てくるはず。そうなると作家の言語経歴の特性とは言いきれないのでは?
- 現代作家遅子建と「満洲国」・・・川俣優(かわまた・まさる 明治学院大学教授)
現代を生きる作家が、故郷である東北をかつての「満洲国」と絡めてどう世界化するのか、を見ようとした。
(参加者からのコメント)
1)小説「偽満洲国」は、中国でどのくらい読まれているのか? 書店には平積みで並んでいる。
2)中国の若手作家はみな、影響を受けた作家としてマルケスや川端を挙げるが、その内実はどこまでの影響なのか。そういった作品が翻訳されている出版状況との関連は?
3)長篇「偽満洲国」の描写特性は、その淪陥の史実考証ということを超えて、「小説」に仕立てる作家としての力を、強く示しているのではないか。