第2回定例研究会報告
第2回定例研究会は2002年3月16日(土)に、無事終了しました。ご多忙のなかご出席下さった方々に、感謝いたします。9月予定の次回もよろしくお願いします。(橋本雄一、大久保明男、石田卓生)
当日のタイムテーブル
(財)国際文化フォーラム(新宿)にて、午後1時より
- 研究発表
- 「満洲国」の女性作家たち―梅娘の作品を中心に―………岸 陽子(早稲田大学)
- 観光と植民の邂逅―開拓団視察旅行を中心に―…………高 媛(東京大学大学院博士課程)
- 「満洲国」末期の「国策文学」―『芸文志』を中心に―…大久保 明男(東京都立短期大学)
- 「現地」⇔帝国日本―中国人作家の巡礼とルポ―…………橋本 雄一(千葉大学)
- 会についての報告(〜午後6時くらいまで)
- 2001年度 研究会活動報告
- 2001年度 読書会活動報告
- 2001年度 会計報告
- 2002年度 予定する活動の紹介
- 2002年度会費1500円を集めさせていただく。会費のほかに多くの方に好意の寄付をいただいた。ここに感謝申し上げます。ありがとうございました。
※このあと場所を移して参加者による懇親会を催しました。
各発表内容の要約と参加者からの質問
※以下の発表内容と質疑応答の要約は、橋本がおこなった。要約者によるのちの感想も加えている(「感想」の箇所がそれ)。
- 「満洲国」の女性作家たち―梅娘を中心に(岸 陽子)
摘要
東北淪陥区に生まれた文学状況について、中国側の研究を紹介しながら、新しい評価を主張。そこから女性作家による創作の特性を提示した。
とくに梅娘の「動手術之前」(1943)、「僑民」(1941)という作品を通して、植民地における近代化によって形成される「女性主体」という難関や、「国家」「民族」というアイデンティティから解き放たれた作家の視座を指摘した。
質問など
・梅娘という作家の「女」への眼について。
・テクスト書き換えの問題を梅娘さん本人に伺ったところ、どんな反応なのか?
- 観光と植民の邂逅―開拓団視察旅行を中心に(高 媛)
摘要
日本内地の人間による「満洲国」への観光旅行を、1940年前後を例に、ホスト―代理ホスト―ゲストという枠組のなかでとらえた。
ホストたる開拓団は、代理ホストたる旅行会社などの斡旋者によって宣伝・表象され、それを通じてゲストたる内地客の「満洲」体験が実践される。内地と植民地の間で織り成される相互作用によって創られた植民地帝国像を提示した。
質問など
・ポスト植民地の研究に努める発表者が、表象(レプレゼンテイション)という視点を応用して、植民地当時の問題に切り込んでいるのが興味深い。
・文学研究者は作家の観光・視察しか目に入らないが、提示された1941年の日本からの「満洲」視察・観光人員統計では、作家はごく少数。「満洲」を巡る人の往来の全体像に対して眼を開かされた。
・植民と観光というが、植民地の歴史と地域による関係の違いは?
・昭和12年からの移民国策要綱の変化に伴う様相を考える必要あり。
・視察旅行と「観光」との境界をどう引くか。
(感想)
・「在満邦人と内地客」=「代理ホストとゲスト」という関係の「インターフェイス」というなら、その「相互作用」は、ゲストが見た後の感想や記録にも立ち入る必要があるだろう。
- 「満洲国」末期の「国策文学」について―雑誌『芸文志』を中心に(大久保 明男)
摘要
「満洲国」の文芸政策にかんする年表から、戦争のための「増産体勢」と「民族協和」を扱った文学状況をピックアップした。小松「鉱山旅館」(1944)、李喬「協和魂」(1944)の二つを例に、「国策文学」とされる中国語作品が持つ別の可能性を仮定した。
こうした作品が持つ、「満洲リアリズム」の発展への寄与や、「満洲」独自の題材による「満洲文学」というアイデンティティーなどを、これから問題にする必要性を説いた。
質問など
・東北方言を分析する意味は今後、注目されてよい。
・「満洲リアリズム」に貢献した「国策文学」という視点は面白い(感想)
・作品に即した例証少なし。(自己批判)
・「国策文学」という言葉に神経質になる必要。
・「満洲(国)ナショナリズム」と安易に言わない方がよい。むしろ「郷土愛」のようなものか。それは読者分析や「郷土文学論争」との繋がりを欠いて見ることは出来ない。
・植民地に生まれた文学における戦術としての比喩はどこまで検証可能なのか(感想)
- 「現地」⇔帝国日本―中国人作家の巡礼とルポ(橋本 雄一)
摘要
30年代後半から「満洲国」末期における、中国人作家の手による主な旅行記や視察記を、時系列で紹介した。ルポルタージュという形式によって、彼らが帝国日本と中国東北を往来するさまを見ようとした。
「帝国日本」を旅行することで、「宗主国」と自分の出自である「植民地」との差異空間を作家たちは体験する(小松、古丁、爵青)。さらに「現地」としての「満洲国」では、さまざまな肩書き(研究会会員、雑誌同人…)を持って各地へと派遣され、植民地がゆえに、「輝かしき近代化」とその反面である「おくれた中国人」という矛盾に直面させられることを紹介。
質問など
・日本人作家たちの「視察」はどこが主催したのか・お金の出どころは?
・費用の出どころは満鉄や文話会(文芸家協会)・自費などあった。
・中国人作家たちの肩書きの多さというが、それは場面場面で使い分けているのか?
・先鋭的な言説は、わざと別のペンネームを使って行っていた。
・資料紹介だけで、それをまとめるようなテーマにまで、まだ発展していない。(自己批判)
・満洲文話会時期の現地作家の現地派遣と満洲文芸家協会のそれとは、方式・目的も異なっている。これに注意する必要あり。
・「増産文学」あるいはルポは、そういう「国策」に沿ったところからの産物であり、そこから見る以外にない。ほかの渡日体験記などと一緒にはできない。
・日本語で読める当時の文献も、中国人作家の言葉として扱っているが、そのような場面で、彼らが本音を言うはずがない。