第3回定例研究会報告

第3回定例研究会は2002年9月14日(土)に、無事終了しました。ご多忙のなかご出席下さった方々に、感謝いたします。来年3月予定の次回もよろしくお願いします。(橋本雄一、大久保明男、石田卓生)

当日のタイムテーブル

明治学院大学 記念館講堂にて、午後1時半より

    研究発表
  1. 古丁「竹林」考………………石田卓生(愛知大学博士課程)
  2. 張抗抗における東北………上原かおり(東京都立大学博士課程)
  3. 文芸誌『文選』とその周辺…大久保明男(東京都立短期大学)

※このあと場所を移して参加者による懇親会を催しました

各発表内容の要旨と出席者からの意見

※以下の発表内容と質疑応答の要約は、橋本がおこなった。要約者によるのちの感想も加えている(「感想」の箇所がそれ)。


古丁「竹林」考

石田卓生(愛知大学博士課程)


 「満洲国」の代表的作家、古丁(1914―64。異説あり)の中編小説「竹林」(42年)を、『世説新語』などに収められた「竹林の七賢」故事と比較対照。
 これまでの研究では、専ら「満洲国」の実相(そこに暮らす人間の生活など)を作品のなかに読むことが第一目的であったため、「竹林」のような小説があまり取り上げられてこなかった。
 本発表では、ケイ康や阮籍らの数々の逸話を表す古丁の文体表現や中身を、古典版と逐一対照し、その異同を指摘。また古丁の古典観や、「魏晋の風土および文章と、薬および酒の関係」(27年)なども著した魯迅のそれといったヴァリエイションも提示しつつ、中国人作家の文学素養と伝統的文学空間とがたとえ「淪陥区」にあっても息づいていたことを紹介した。

出席者からの意見
  1. この詳細な対象をもとに、「満洲国」下の歴史小説の持つ可能性を、さらに深く分析する必要があるだろう。
  2. 従来の植民地内部についての分析コードに沿って、考えてみることも必要だろう。つまり作者、古丁による故事の模倣・異化(あるいは偶然性もふくめて)を、「満洲国」における中国語・中国人にとっての言説空間に広く置き直して、意味づける必要性である。

張抗抗における東北

上原かおり(東京都立大学博士課程)


 現代の女性作家、張抗抗(1950年生。現在、黒龍江省作家協会副主席)による、文化大革命時期の自身の「上山下郷」体験を材とした小説、手記を取りあげた。具体的には、中篇「塔」(83年)、中篇「いつまでも懺悔しない」(87年)、手記「最も美しい北大荒」(98年)、「『大荒氷河』自序」(98年)など。
 それぞれの作品に見える、懐かしく思い返される東北の原風景(美しい記憶)と、当時はその地に生きることに必ずしもポジティヴにはなれなかった主人公の姿(後ろめたい記憶)とを指摘。相反しかつ同居するような二つの記憶を常にもたらす時空間(60−70年代の東北)は、張抗抗という「知識青年」出身の代表的作家を誕生させ、また彼女の現在の文筆活動にまで繋ぎとめられていると結論した。

出席者からの意見
  1. 東北ではなく他地域で「下郷」体験した作家たちの作品に見える空間性と、張抗抗の東北という空間性との違いを考えると、「知青」作家をより深く知ることができるだろう。
  2. 東北という地の自然性だけでなく、政治性も考えてみたい。例えば、「満洲国」の中国人作家で、新中国後に獄につながれた後、東北の労働改造所で服役者教育に派遣された者がいる。その場所は、張抗抗の下郷した東北の農場のすぐそばだった。東北に散らばる政治的スポットとしての開発農場は、東北の政治的歴史性(淪陥区から新中国、そして現代中国へ)を浮かび上がらせる場所である。

文芸誌『文選』とその周辺

大久保明男(東京都立短期大学)


 「満洲国」の代表的中国語文芸誌のひとつ、『文選』(1939〜40年に第二輯まで刊行)を取り上げた。その全目次を挙げ、同人とされる作家あるいは寄稿した作家の顔ぶれを紹介。  また、該誌が掲げた「大衆教育」「現実認識」といった宗旨(雑誌を取りまとめた王秋蛍による)や、刊行会の活動などを確認した。これと対立したもう一つの大型文芸誌『芸文志』の路線(「'満洲文学'を振興せよ」「とにかく書いて刊行すべし」)との対立や、重なり合いをも示唆。

出席者からの意見
  1. 『文選』誌の全容を掲載作品にそくして、もっと具体的に論ずる必要があるだろう。そうすることで、本当に'『文選』派'といった括りは有効かどうか、あるいはこの雑誌の中身はもっと多様なのではないか、といった問題が検討できるはずである。
  2. '芸文志''文選'という誌名は、両誌の発起人らが、自分たちの中国文学に存在する古典(「ゲイモンシ」「モンゼン」)を意識していたことを物語っている。そのあたりからの、両誌の意味づけ、あるいは「満洲国」の作家たちの意識を追っていく必要がある。単に新文学どうしの対立の図式にはめるのではなく。

研究会としての課題

 『文選』掲載の作品には、植民地権力者(日本人の役人など)への意識的な視線がうかがえるものが幾つかある。その視線は当時にあっては、最大限に先鋭な批判意識に裏打ちされている。
 そういう作品を集めている本研究会における読書会の成果が、早急にまとめられる必要があろう。

[戻る]
inserted by FC2 system