第4回定例研究会報告

第4回定例研究会は2003年3月15日(土)に、無事終了しました。ご多忙のなかご出席下さった方々に、感謝いたします。03年9月13日に予定する次回もよろしくお願いします。(橋本雄一、大久保明男、石田卓生)

当日のタイムテーブル

明治学院大学 記念館講堂にて、午後1時半より

各発表要旨とおもな質問・意見

※以下の発表内容と質疑応答の要約は、橋本がおこなった。要約者によるのちの感想も加えている(「感想」の箇所がそれ)。


満洲映画協会理事長として甘粕正彦は何を目指したか

江森謙太郎(早稲田大学4年生)

 麹町憲兵分隊長時期の大杉栄殺害事件、その後のフランス滞在をへて、「満洲」へわたる甘粕の経歴をまず紹介。「満洲国」成立後は初代民生部警務司長、協和会総務部長をへて、1939年「満洲映画協会」の理事長に就任する。彼が着手した、社内改革(経営の立て直し、中国人スタッフを日本人と平等に能力主義で評価)や、映画製作の体制整備(俳優養成所設立、中国人監督や脚本家の育成)を確認した。それは「中国人のために映画を作る」という甘粕独自の使命感に基づいていたが、一方で「天皇とその有たる日本帝国」のための「満洲国」繁栄を満映に託すという意識構造に見える彼の限界も指摘した。

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  1. 質問:甘粕は実際の映画の作品内容にはどう関わったのか
  2. 質問:当時の中国社会における映画の位置は
  3. 質問:芥川光蔵の「秘境熱河」「草原バルガ」(1936年)に代表される、満映以前の満鉄記録映画と、満映映画のちがいは、甘粕自身のうちに見てとれるだろうか

中国東北地区における「満洲」にかんする記憶の表象 ―博物館展示をとおして―

坂部晶子(京都大学大学院博士課程)

 「満洲」についての中国側による記憶のあり方を探った。とくに、a抗日烈士の墓、b万人坑、c特定の主題にかんする博物館("九・一八"博物館、七三一部隊罪証陳列館など)という三つを中心に、東北各地にある「満洲国」の痕、あるいは抗日記念スポットを紹介した。ひとくちに「中国側」といっても、言語化されにくい個人的記憶と、共同体としての集合的記憶("日本帝国主義とそれへの民族的抵抗"、その"犠牲")という二種がある。体験の固有性ゆえに共有しにくい前者よりも、民族的物語として反復されやすい後者(それを具現化したのが上のabc)のほうが、これまでの研究あるいは観光によって注目されてきたことを指摘した。
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  1. 質問:個人の記憶と、展示・物語化される記憶との相関性はどのようなのか
  2. 質問:民族の語る記憶=集合的記憶は、共同体内の宣伝や教育という視点からとらえた方がいいのではないか
  3. 質問:「満洲」をめぐる植民者の記憶と被植民者の記憶とを対極的にとらえているが、相互にふれあう局面として考える必要もこれからはあるのではないか

川村湊著『満洲鉄道まぼろし旅行』を読む

西原和海(文芸評論家)

 文春文庫版(2002年刊)をもとに、「対象とする読者は誰か」「一次資料の扱い方」などの視点から、体験を持たない世代が「満洲」を扱うさいの問題を提起した。当時の「満洲」という空間を啓蒙的かつヴィジュアルに紹介したことの面白さを評価しつつ、長與善郎や満鉄による児童向け「満洲」案内書や観光パンフなどといった当時の資料を引用するさい、文献の誤読や事実誤認(例えばp284の路線図)が少なくないことを指摘した。そうした一次資料への依拠(リアルさの醸成)は、主として「満洲」体験者に、懐かしさという点からの読書意欲を刺激したかもしれない。さらには、舞踏家、崔承喜の当時のインタビュー記事をおり込むなど、この旅行記を劇的に仕上げる若者の語り(p118)の巧さも指摘。また、当時の一般的な旅行コース(都市中心)と比較したときの問題(黒河や延吉など地方性についての記述の欠落など)にも言及した。
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  1. 意見:同書の全編にわたって、当時のディスクール(一次資料を援用した部分)と現在のディスクール(後史的見地の部分)が混在している。結果として語り手の不在が感じられ、その巧妙さと無神経さが気になる。
  2. 意見:「満洲」(関東州・「満洲国」)をどう位置づけるかという研究的視線と、当時の「満洲」を紹介する視線とは、どう区別され、どう接点を持つのか。また後者の視線や意識の今日的意味合いはどんなところにあるのか(文責者のあとからの感想)
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