中国人作家による文学の言語を、いま、当時の植民地社会における「現実と想像」の政治性のなかへと「開放」し評価する試み。「もう一つの」言語と文体を使って生に賭けた言語行為。それを掬いあげる方法を提起した。
本論は07年5月25,26日と韓国ソウルの延世大学で開かれた国際シンポジウム「植民地主義と文学」(韓国民族文学研究所主催)における報告をもとにした。報告のさいには、研究所所長の金在湧教授ほか、韓国・台湾・インドネシアの研究者から有益な示唆を頂いた。ここに感謝申しあげます。
本書は「満洲国」文学研究会の紀要論集創刊号。詳しくはこちらを
2005年の8月7日に北京で開催された国際シンポジウム「抗戦時期北平反法西斯文学芸術」(北京市社会科学院主催。邦訳すると「抗日戦争時期の北平に展開された反ファシズム文学と芸術」)のさいに報告した内容を論文にした。日本植民地には多様な中国人作家が、その人なりの母語を使って生を記す。今後も使用された言語の形態から、問題に迫りたい。
本書は、抗日戦争下(限定すれば1937〜45年)に生まれた中国の文学活動に、分析と史料紹介で迫る定期刊行物。この創刊号は上記シンポジウム(日中戦争終結60周年記念の意味もあり)についての特集を組む。
せらび書房から06年6月に刊行された図書の書評。「満洲」にかかわった日本人女性たちの生のモメントを切りとった本書の視線を評価した上で、「他者としての」女性とつなげる視点をも喚起した。
抗日戦争以前の“抗日戦争”を体験する中国東北の心性を、その土地の大河に託して遠い場所からモニュメント化した歌曲、“松花江上”(1936年作。「松花江のほとり」の意)。作詞作曲した張寒暉や、同曲と対をなす応答歌のことなども紹介しました。“松花江上”は意味を携え、しかも意味という場所を越えても流れ続ける美しい曲です。
本特集はほかに田中益三による、日本敗戦前の大連芸術座の活動や演劇「王属官」日本公演の資料紹介。
千葉大学史学科主催シンポジウム「戦争の時代と社会――日露戦争100年に際して」で報告した内容をもとに書いたもの。日露戦争後の獲得植民地における近代メディアの勃興(それは日本内地と比べても引けをとらない「先進」性を体現していた)を観測点にして、日本「国民」の対外認識と感情の「発展」ケースを探った。
「満洲国」下の女子国民高等学校の教員として、実際に中国女学生とふれあった作家。東北=中国辺境=広漠と奥の深い地理=光と闇の自然気候、が自分の立ち位置として宣言された彼の詩篇の数々を、文学表現のもつ厚みとして分析した。「満洲国」当時から今日までいまだ翻訳紹介されることの稀であった詩人の詩篇を訳出し、紹介することも狙ったものです。
「満洲国」にあって物語をつむいだ中国人作家たちはつねに、あたかも「満洲国」という時間と空間の外部を目指すように、登場人物の来歴や原籍への思い==遥かな記憶とその向こう、を作品のなかに刻む。そのような遠い記憶の場所をめぐる、作家たちのあからさまではないが慈愛に満ちた言語について考えた。
同志大久保明男君を窓口に「満洲国」文学研究会が実現した梅娘氏(「満洲国」と日本占領下北京で注目された作家)と張泉氏(北京市社会科学院)の講演会についての報告。※大久保明男執筆「梅娘氏の東京−−67年ぶりの故地再訪をともにして」(内山書店『中国図書』2004年12月号、2〜3頁)と合わせて読んで頂けると幸いです。
「満洲国」外交部の若手職員として、ナチス政権下の駐ドイツ大使館などに勤務した王替夫の自伝を評した。当時の「満洲国」−帝国日本の関係のみならず、そこから発展して、世界大戦うずまくヨーロッパでの体験、殊にナチスによるユダヤ人迫害に対峙した著者の行動など、貴重な証言に満ちている。
「満洲国」に生まれることになった中国語文学テクストは、単に「満洲国」についての“ある側”からの象徴表現なのではない。それは、さまざまな言説空間(植民地、東北、南方の原籍地・祖先への私的「記憶」、性差、外国文学…)を出入りする、豊かなコトバの共振であることを主張。「植民地」に〈生まれることになった〉文学テクストの価値とはどこにあるのか、これからも問うていきたい。
満映を接収した新中国の映画会社“東北電影製片廠”が作った抗日映画に注目。植民地から“解放区”へという意味転開と、李香蘭から抗日女性兵士へというヒロイン像の転開を見る。ポスト植民地における映像表現の特性や、満映の中国人スタッフが迎えた「その後」。
中国人作家、金音(馬家驤)の短編小説。「満洲国」下の女子高等学校に勤める一教員のつましい家庭生活と、希望にあふれた女子生徒たちをスケッチする。当時の社会の様相や、人々の暮らしが味わい深く描かれる。訳者による解説を付す。
「関東州」として「満洲国」成立後も区別されたゾーンの中心、大連。20年代、この都市に展開した中国語知識界&メディアとその仕掛人、傅立魚。
彼が実現に寄与した胡適の講演を紹介しつつ、この日本「租借地」にあった日本側と中国側との知の競演関係を示唆。今後も追究したいテーマです。
中薗英助氏の国内未発表作品を続けて掲載してきた本誌が、四月に急逝された氏を追悼する特集。
本文は日本占領期の北京体験が、氏の最期のミステリー作品にまで投影されていることを確認する。
中薗さんは、僕たちの研究会立ち上げのときも励ましてくださった。心よりご冥福をお祈りしたい。
「植民地文学」の持つ二つの意味と、そのなかで中国語テクストを手にとることの意味について考える。
「植民地文化研究会」は、「「満洲国」とその文化現象、日本統治時代の台湾とその文化現象を対象」とする研究会。本誌は創刊号。
「満洲国」の女子高等学校の一日を描いた中国語作品を社会背景と共に紹介。
植民地の制度に投げ込まれながら懸命に生きる若者たちは、植民地後はどのような人生を送ったのか。読者はそう想像せずにはいられない。
自分の外に空間を広げていくような働きが植民地文学にはある。
「満洲国」の中国人作家の作品(1943年)が当時の日本に紹介される際に、翻訳者・メディア・表象言語という権力がどのように立ち働いたかを紹介。
「翻訳」・「二言語」といった地平をめぐる、こうした事件は今後も追い続けていきたいと考えている。
わが同志、大久保明男氏(東京都立短期大学講師)との共著。
「満洲国」に生まれた中国語文学が近年の中国ではどう扱われているかを探った。
かの地で刊行された17冊の研究書にそくして詳解。中国人研究者の新しい歴史認識を評価する。
「満洲国」の文学活動にかんする現代日本と現代中国の研究状況を解説。
また論者らが運営する「満洲国」文学研究会が目指す活動を紹介。
2001年4月に設立した同研究会の主旨と、9月に開催された同研究会の定例会について報告。
俳人、尾崎放哉の植民地における体験に注目。
彼の自由律俳句の創作感覚と言語形式が、外地体験を通して形成されたことを問題提起した。
「満洲国」の中国人作家が招聘された種々の座談会における彼らの発話形式に注目。
「大東亜」を喧伝する日本側参加者との亀裂を確認した。
日本語版と中国語版両方が出されていた『満洲国語』を取り上げ、そこに見える中国人作家の役割を分析した。
言語政策に関わることになる彼らの複雑な権力性を問題とした。
「満洲国」の教育事情についての中華人民共和国内の研究(単行本)を紹介した。
同上。
関東州(大連)のラジオと新聞というメディアが、いかにその居留民を感化しそれに奉仕したかを分析した。
特に娯楽番組に見える日本近代史の神話化と異民族の表象に注目した。
中国人作家の存在を日本語と中国語の二言語対立の中に探った。
中国語を守ることでまた逆に日本語にも精通することで、彼らは母語を守ろうとしたと結論した。
爵青という中国人作家が見た東北ハルピンの都市像から、植民地の実態を探った。
都市に生活する異民族としての作家は、「満洲国」が創り上げた美的都市像の裏側を見つめていると論じた。
日本統治期の朝鮮において刊行された(1936〜1943年)文化総合雑誌『緑旗』の全巻総目録。
小沢有作ゼミに参加させていただき、日本統治期の教育に対する現認識を、戦後日本・台湾・朝鮮・中国東北という各地域の教育史書をもとに比較検討した。
他の先輩がたと共同で担当させて頂いた部分は「中国(東北地方)」。
かつて「満洲」と呼ばれた土地に生まれた日本人作家の故郷論を取り上げた。異民族に対する彼らの意識の可能性と限界を、近代日本の他者認識と結びつけて論じた。
せらび書房を経営なさる田中益三先生に声をかけて頂き、実現した論文。